1950年代から1970年代にかけて発売されていたF1.7~F2の標準レンズのうち、測定データ上で高解像力を記録したものを撮り比べてみました。といってもマイクロフォーサーズでの撮り比べなので、イメージサークルの中心部の撮り比べということになりますが。
▼ DR Summicron 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
このレンズは以前書いたとおりです。F2クラスの高解像な50mmレンズというと、やはりこの6群7枚構成のズミクロンがリファレンスだろうと思います。1964年製造の後期型です。
ズミクロン50mmはMマウント・Rマウントともに、レンズ構成が全く変わった新設計にモデルチェンジされるごとにアサヒカメラで計測されていますが、
実焦点距離で51.6mmが計測されたズミクロンはひとつもありません。ライカ純正のMマウント標準レンズで51.6mmが計測されたのはわずかに1回、1972年1月号のズミルックス50mm F1.4のみ、ズミクロン50mmではMもRも皆無で、ズミクロン50mmはRマウントのごく初期に52.6mmが計測されたほかは、51.95~52.0mmの範囲に収まっています。
なお、本レンズではありませんが、ズミクロンR 50mm F2 Type I(いわゆる「先細ズミクロン」)は、1965年10月号で計測された個体と1968年12月号で計測された個体とでは、実焦点距離だけでなくレンズ構成図も明らかに異なっています。レンズの縁辺の切り欠き形状も異なることから、光学設計・鏡胴内部構造とも設計が異なっているものと思われます。
▼ Auto Topcor 5.8cm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1957年に東京光学が発売した同社初の一眼レフ、トプコンRの標準レンズです。5群6枚の変形ガウスタイプですが、後群の4枚目と5枚目が接合されずに分離しているという、やや珍しいレンズ構成で、絞り機構は、撮影前にレンズに設けられたつまみを操作してチャージしておくと設定絞り値にかかわらず開放でファインダーが見られ、ただしレリーズ時に絞り込まれた後は開放に復帰しない半自動絞りです。アサヒカメラ1958年6月号のニューフェース診断室で計測されていますが、この当時のニューフェース診断室では解像力の測定限界が183本/mm、そしてこのレンズは開放時・F5.6時ともに画面中心から四隅に至るまでほとんどの測定点で測定限界を軽く超えるという成績を残し、
1963年発売の世界初のTTL開放測光搭載機、トプコンREスーパー発売に合わせてレンズ構成を踏襲しつつ光学設計が改められたRE.Auto-Topcor 5.8cm F1.8(59.0mm・F1.83・5群6枚)では像面湾曲が大きいからか、解像限界はかなり下がり、開放時の画面中心140本/mm・平均87本/mm、F5.6時は画面中心200本/mm・平均138本/mmになっています。ところが、なぜかファンサイトなどではこの計測結果への言及が見られず、Auto Topcor 5.8cm F1.8の数値をRE.Auto-Topcor 5.8cm F1.8の解像力としているところさえあります。贔屓の引き倒しのように感じます(笑)
▼ AUTO ROKKOR-PF 55mm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1958年に千代田光学精工が発売した同社初の35mm一眼レフ、ミノルタSR-2に合わせて登場した、5群6枚変形ガウスタイプの標準レンズです。開放時のコントラストはかなり低いのですが、にもかかわらず、しっかりと解像します。アサヒカメラ1959年2月号のニューフェース診断室では、
オートロッコールやその後のMCロッコールの初めの頃のレンズは、ヘリコイドが固くなったり固着して動かなくなっているものが多いです。この個体も、ヘリコイドがかなり粘っています。
▼ NIKKOR-S AUTO 5cm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
1959年6月に登場して世界のカメラを変えてしまった名機、Nikon Fに合わせて発売された、先頭1枚目を凹レンズとした5群7枚の変形ガウスタイプの標準レンズで、当初は9枚絞り、後に6枚絞りになります。今回使用したモデルは、その後期6枚絞りモデルです。アサヒカメラ1959年9月号のニューフェース診断室のデータを見ると、F5.6時の中心部の解像力こそ測定限界を超えていますが、像面湾曲が大きいことから平均値は低く、
このレンズは絞りリングのマウント面側への張り出しが大きく、マウントアダプターによっては装着できない場合があります。
▼ UV TOPCOR 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
1969年10月発売のトプコン・ユニレックス用の4群6枚のオーソドックスなガウスタイプの標準レンズで、トリウムガラスを採用した放射能レンズということは以前にも書いたとおりです。そこで言及した「50mmF2クラスレンズの解像力」の表ですが、この表には当然ながら記事本文もあって、小倉磐夫氏はその記事中でこのレンズを特に取り上げて次のように記しています。
このレンズの絞り羽根は5枚ですが、微妙に曲線が付けられています。球面収差は開放域で完全補正・中間帯での補正不足側への膨らみはF2.8のあたりで最大-0.12mm、像面湾曲も非点収差も小さく、これら収差の補正状態は2015年5月発売のキヤノンEF50mm F1.8 STMに酷似、ないしはEF50mm F1.8 STMよりやや優れているように見えます。
▼ FD 50mm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1971年3月発売のキヤノンF-1とFTbから採用されたFDマウント用の廉価な標準レンズで、オーソドックスな4群6枚のガウスタイプです。このレンズは71年3月発売のⅠ型と、71年11月発売のⅡ型があるとされていますが、価格も含めてカタログ的なスペックに違いがなく、光学設計に違いがあるのかどうかも不明です。面白いことに、アサヒカメラ1971年5月号ニューフェース診断室で計測された際のⅠ型の収差図を見ると、1969年10月発売の前群交換式一眼レフ、キヤノンEX-EEのEX 50mm F1.8と同一製品の生産ロット違いではないかと疑いたくなるほどに酷似していて、レンズ構成図も違いは微妙で非常に小さく、解像力の数値もEX 50mm F1.8より開放時の数値がわずかに低い程度でかなり近いです。なお、今回用いた個体はピントリングに大きなビスの突起があることからⅡ型と思われますが、キヤノンカメラミュージアムでは質量305gとされているのに対し、実測では334gありました。
FDマウントは東京光学の特許権使用許諾を得て、絞り込み測光のFLマウントをTTL開放測光化したマウントで、技術開発力の高さに他社も一目置いていたキヤノンがトプコンに屈して4千万円と言われるライセンス料を支払ったことに当時の国内カメラ業界はパニックのような状況に陥ったらしく、国内カメラメーカーの多くがその後を追って雪崩を打つようにトプコンの軍門に降る一方、日本光学は“カニの爪のガチャガチャ”を固守して時間を稼いでライセンス料を大幅に値切る作戦に出ました。
FD 50mm F1.8も、FD 50mm F1.4も、銘板にコーティング表記がなくレンズ先端のフィルター枠が銀色に光り輝くモデルは中古市場で見かける機会が意外に少ないように感じます。キヤノンの一眼レフへの参入は1959年5月と国内では比較的早い方だったのですが、そのキヤノンフレックスは底面のトリガーレバーによるフィルム巻き上げなどという中二病をこじらせたような飛び道具を採用してしまって大不評、またその後に自動絞り機構を見直したFLマウントはスーパーキヤノマチックRマウントと物理的な寸法や形状が同じなのにレンズの互換性を失ってまたも大不評で、キヤノンを見限った顧客が大量に他社製品へ流出、その一方で1961年に自動露出のキヤノネットが大ヒットしたことで、業界内ではキヤノンは高級カメラから手を引くらしいという観測が流れるなど、かつての「日本を代表する高級カメラメーカー」とする評価が一変し、70年代が目前になる頃にはキヤノンは「シロウト向けのバカチョンカメラメーカー」と見られるようになり、35mm一眼レフの市場シェアも、国内ではアサヒペンタックスが、最大市場の米国ではミノルタが頂点に立ち、キヤノンの存在感は希薄になる一方でした。そしてFDマウント採用でキヤノンはまたマウントを変えたのかとあきれられ、あるいはF-1を指してバカチョンカメラメーカーが無理な背伸びをしていると冷笑され、数少なくなったキヤノンの固定ファンの需要が一巡した時点で売上がばったり止まってしまいました。そのため、初期のFDレンズは市場に出た数が少ないようです。キヤノンはその後、起死回生を賭して前代未聞の一大奇策に打って出ることになります。
▼ <New> NIKKOR 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
NIKKOR-S AUTO 5cm F2の後を受けて1964年に登場した4群6枚構成のNIKKOR-H Auto 50mm F2に改良が重ねられて1974年11月に発売されたニューニッコールモデルで、最短撮影距離が60cmから45cmに短縮されています。以下に示すのはアサヒカメラ1968年1月号のニューフェース診断室に掲載されたNIKKOR-H Auto 50mm F2のデータで、<New> NIKKOR 50mm F2については公表された実測データがありません。
この同時代のNIKKOR-S Auto 50mm F1.4の測定データを追跡すると、実焦点距離・像面湾曲・非点収差・歪曲収差が頻繁に変わり、硝材に変更があった際にはレンズ構成図が激変、解像力の数値もF5.6時の解像力がファーストロットにくらべて後のロットではやや下がり、球面収差も収差量こそほぼ保たれながらもカーブの形状に若干の違いが生じるなど、頻繁に光学設計が見直され手を入れられて大きな変更が継続的に加え続けられていたことが分かります。従って、このレンズもNIKKOR-H Auto 50mm F2から引き継がれているのは球面収差量ぐらいではないかと想像します。
▼ SMC PENTAX-M 50mm F1.7
F1.7
F5.6
F1.7
F5.6
アサヒペンタックスのレンズは、マウントがKマウント化された際に新設計で投入されたレンズは広角レンズに偏り、標準レンズはタクマーの設計を引き継ぎました。標準レンズの設計が一新されるのは、オリンパスOMシステムに対抗して小型軽量化したペンタックスMシリーズの発売時、1976年になります。SMC PENTAX-M 50mm F1.7は1976年12月に発売された5群6枚変形ガウスタイプの標準レンズです。
球面収差はほぼ完全補正、像面湾曲・非点収差も小さく、ペンタックスの標準レンズとしては例外的な高解像力を有します。
参考までに、アサヒカメラ1999年12月号で計測された現行製品、SMC PENTAX-FA 43mm F1.9 Limited(6群7枚)の数値を上げると、開放時の画面中心125本/mm・平均67本/mm、F5.6時の画面中心180本/mm・平均92本/mmとなっています。「リミテッド」なのに、限りなく長く生産販売が続いてますね(笑)
▼ XR RIKENON 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
このレンズを「高解像力レンズ」に含めていいのかどうか若干の躊躇はありましたが、「和製ズミクロン」として有名なレンズなので加えてみました。
星セント・ルイスをCMに起用して1978年9月に発売、リコーのサンキュッパで一世を風靡したリコーXR500のキットレンズで、5群6枚変形ガウスタイプです。この当時、各社とも低価格一眼レフを市場に投入して「5万円戦争」と言われていた時代ですが、それら各社製品よりさらに大幅に安い、カメラボディ・レンズ・ケースのセットで39,800円というコンパクトカメラ並みの価格は驚きをもって迎えられました。当然、“安かろう悪かろう”ではないかという疑念を持つ向きもあったわけですが、実際には先に発売されていた上位機種とのパーツの共通化や大量宣伝・大量販売によるスケールメリットによって実現した低価格で、品質を犠牲にしていなかったことも特筆に値するかと思います。当時の雑誌広告を見ると、50mm F1.4やF1.7はレンズ単体の価格が記されているのに、このF2だけは単体の価格が記されていない広告が少なからずあり、メーカーがこの50mm F2レンズのみの単体販売を避けようとしていたことが伺われます。実際、このレンズの9,000円という価格は出血サービスではないかと当時言われ、カメラとのセット販売で利益を出すビジネスモデルだったと思われます。
XR500とXR RIKENON 50mm F2はアサヒカメラ1978年12月号のニューフェース診断室で計測されたのですが、その2ヶ月前の1978年10月号ではライカM4-2と5群6枚構成のズミクロンM50mm F2がテストされていました。その結果、9,000円のXRリケノンと12万円のズミクロンMの解像力が開放・F5.6時ともかなり近い数値だったことから、このXRリケノンはいつしか「和製ズミクロン」と呼ばれるようになりました。しかしMTF曲線の図を見ると、XRリケノン50mm F2はライカとは異なり、日本的な解像重視設計によって球面収差を過剰補正としていることから開放時のコントラストは低くて勝負にならないのですが、この当時はMTF曲線の見方を心得ている人がプロ写真家にすらまだ少なく、古くから馴染みのある解像力の単純な数値の近さに多くの人の目が奪われることになったわけです。とはいえ、この解像力の数値は1970年代の35mm判標準レンズとしてはありきたりな数値で、価格に注目しないのであれば特記に値するほどのものではありません(1990年代のレンズと比べると極めて高い解像力ではあるのですが)。ただし、このXRリケノンのF5.6でのMTF曲線は見事なもので、10本/mm・30本/mmともに放射・同心のコントラスト曲線が画面中央から四隅までほぼ完全に一致しており、それぞれ90%以上及び75~70%の高さを画面隅近くまで維持してフラットに伸びています。大変にコストパフォーマンスに優れたレンズです。が、現役製品当時の価格を超える中古価格を付けているものにあえて手を出す価値があるかというと、そこはちょっと微妙だと思います(笑)
「和製ズミクロン」の通り名だけをことさらに取り上げて単純に「ライカテイストが味わえる」などと煽るプロライターがいますが、あまりに勉強不足が過ぎます。収差補正はライカの多くのレンズとは大きく異なるので、このレンズにライカ的な描写を期待するべきではないと思います。また、ネット上ではこのレンズについて、上野千鶴子著・朝日ソノラマ刊『私のカメラテスト』に「ドイツレンズのような描写」と書かれているとする風説が見られますが、その『私のカメラテスト』でこのレンズを取り上げている掲載ページp.137~140に、そのような記述は全くありません。
XR RIKENON 50mm F2の発売以降、国内競合他社はF2クラスの標準レンズに値段の安さ以外に取り柄のない安物レンズを投入することができなくなりました。その意味で、このレンズはきわめて大きな影響力を発揮したレンズです。
この初代のXR RIKENON 50mm F2は質量のバラツキが非常に大きく、メーカー公称値は190gですが、ニューフェース診断室での実測値は204g、また、今回用いた個体は210gありました。
OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ(ISO 200, 絞り優先AE)
OLYMPUS Capture
LEITZ WETZLAR SUMMICRON 50mm F2 (Dual Range, 1964)
東京光学 Auto Topcor 5.8cm F1.8
千代田光学精工 AUTO ROKKOR-PF 55mm F1.8
日本光学 NIKKOR-S AUTO 5cm F2
東京光学 UV TOPCOR 50mm F2
日本光学 <New> NIKKOR 50mm F2
Canon FD 50mm F1.8(Ⅱ)
旭光学 SMC PENTAX-M 50mm F1.7
リコー XR RIKENON 50mm F2
GITZO CREMAILLERE2 G212
Manfrotto 410
ALTER 1/8scale "ALVIS & LAVIE BY LASTEXILE"
Auto Topcor 5.8cm F1.8 (F5.6)
参考資料(順不同):
▼ DR Summicron 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
このレンズは以前書いたとおりです。F2クラスの高解像な50mmレンズというと、やはりこの6群7枚構成のズミクロンがリファレンスだろうと思います。1964年製造の後期型です。
ズミクロン50mmはMマウント・Rマウントともに、レンズ構成が全く変わった新設計にモデルチェンジされるごとにアサヒカメラで計測されていますが、
1959年4月号、固定鏡胴ズミクロン 5cm F2(6群7枚)の実測値は52.0mm
1965年10月号、ズミクロンR 50mm F2(Type I、5群6枚)の実測値は52.6mm
1968年12月号、ズミクロンR 50mm F2(Type I)の異個体の実測値は52.0mm
1972年1月号、ズミルックス 50mm F1.4(5群7枚)の実測値は51.6mm
1977年8月号、ズミクロンR 50mm F2(Type II、4群6枚)の実測値は52.0mm
1978年10月号、ズミクロンM 50mm F2(5群6枚)の実測値は51.95mm
1981年1月号、ズミクロンM 50mm F2(4群6枚)の実測値は52.0mm
1991年4月号、ズミルックスR 50mm F1.4(6群7枚)の実測値は52.1mm
1965年10月号、ズミクロンR 50mm F2(Type I、5群6枚)の実測値は52.6mm
1968年12月号、ズミクロンR 50mm F2(Type I)の異個体の実測値は52.0mm
1972年1月号、ズミルックス 50mm F1.4(5群7枚)の実測値は51.6mm
1977年8月号、ズミクロンR 50mm F2(Type II、4群6枚)の実測値は52.0mm
1978年10月号、ズミクロンM 50mm F2(5群6枚)の実測値は51.95mm
1981年1月号、ズミクロンM 50mm F2(4群6枚)の実測値は52.0mm
1991年4月号、ズミルックスR 50mm F1.4(6群7枚)の実測値は52.1mm
実焦点距離で51.6mmが計測されたズミクロンはひとつもありません。ライカ純正のMマウント標準レンズで51.6mmが計測されたのはわずかに1回、1972年1月号のズミルックス50mm F1.4のみ、ズミクロン50mmではMもRも皆無で、ズミクロン50mmはRマウントのごく初期に52.6mmが計測されたほかは、51.95~52.0mmの範囲に収まっています。
なお、本レンズではありませんが、ズミクロンR 50mm F2 Type I(いわゆる「先細ズミクロン」)は、1965年10月号で計測された個体と1968年12月号で計測された個体とでは、実焦点距離だけでなくレンズ構成図も明らかに異なっています。レンズの縁辺の切り欠き形状も異なることから、光学設計・鏡胴内部構造とも設計が異なっているものと思われます。
▼ Auto Topcor 5.8cm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1957年に東京光学が発売した同社初の一眼レフ、トプコンRの標準レンズです。5群6枚の変形ガウスタイプですが、後群の4枚目と5枚目が接合されずに分離しているという、やや珍しいレンズ構成で、絞り機構は、撮影前にレンズに設けられたつまみを操作してチャージしておくと設定絞り値にかかわらず開放でファインダーが見られ、ただしレリーズ時に絞り込まれた後は開放に復帰しない半自動絞りです。アサヒカメラ1958年6月号のニューフェース診断室で計測されていますが、この当時のニューフェース診断室では解像力の測定限界が183本/mm、そしてこのレンズは開放時・F5.6時ともに画面中心から四隅に至るまでほとんどの測定点で測定限界を軽く超えるという成績を残し、
とにかく標準レンズはすばらしいレンズといえる。と絶賛されています。平均の値は、測定限界値を超えたところは183本/mmとして算出しているため、実際の平均解像力はこの数値よりもかなり高いと思われます。
58.1mm・F1.82
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.07mm(後ピン方向)
歪曲収差 -1.2%(タル型)
開口効率 42%(画面対角線90%の位置)
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.07mm(後ピン方向)
歪曲収差 -1.2%(タル型)
開口効率 42%(画面対角線90%の位置)
解像力
絞りF1.8
中心部 183本/mm以上 平均 167本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 183本/mm以上 平均 173本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.06mmレンズに近い位置にある。
絞りF5.6
中心部 183本/mm以上 平均 173本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.06mmレンズに近い位置にある。
中心部 183本/mm以上 平均 158本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 142本/mm 平均 180本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.04mmレンズから遠い位置にある。
中心部 142本/mm 平均 180本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.04mmレンズから遠い位置にある。
1963年発売の世界初のTTL開放測光搭載機、トプコンREスーパー発売に合わせてレンズ構成を踏襲しつつ光学設計が改められたRE.Auto-Topcor 5.8cm F1.8(59.0mm・F1.83・5群6枚)では像面湾曲が大きいからか、解像限界はかなり下がり、開放時の画面中心140本/mm・平均87本/mm、F5.6時は画面中心200本/mm・平均138本/mmになっています。ところが、なぜかファンサイトなどではこの計測結果への言及が見られず、Auto Topcor 5.8cm F1.8の数値をRE.Auto-Topcor 5.8cm F1.8の解像力としているところさえあります。贔屓の引き倒しのように感じます(笑)
▼ AUTO ROKKOR-PF 55mm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1958年に千代田光学精工が発売した同社初の35mm一眼レフ、ミノルタSR-2に合わせて登場した、5群6枚変形ガウスタイプの標準レンズです。開放時のコントラストはかなり低いのですが、にもかかわらず、しっかりと解像します。アサヒカメラ1959年2月号のニューフェース診断室では、
とにかくよく写って使いよい、一眼レフ向きの万能レンズということができよう。と、非常に好意的に評価されています。しかしながら、開放時の画像を縮小すると解像力の高さどころかピント位置も判然としなくなって被写界深度が異様に深くなるのは辛いところではあります。
55.1mm・F1.84
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.0mm
歪曲収差 -0.7%(タル型)
開口効率 55%(画面対角線90%の位置)
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.0mm
歪曲収差 -0.7%(タル型)
開口効率 55%(画面対角線90%の位置)
解像力
絞りF1.8
中心部 224本/mm 平均 142本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 180本/mm 平均 152本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
絞りF5.6
中心部 180本/mm 平均 152本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
中心部 224本/mm 平均 189本/mm
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.01mmレンズに近い位置にある。
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.01mmレンズに近い位置にある。
オートロッコールやその後のMCロッコールの初めの頃のレンズは、ヘリコイドが固くなったり固着して動かなくなっているものが多いです。この個体も、ヘリコイドがかなり粘っています。
▼ NIKKOR-S AUTO 5cm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
1959年6月に登場して世界のカメラを変えてしまった名機、Nikon Fに合わせて発売された、先頭1枚目を凹レンズとした5群7枚の変形ガウスタイプの標準レンズで、当初は9枚絞り、後に6枚絞りになります。今回使用したモデルは、その後期6枚絞りモデルです。アサヒカメラ1959年9月号のニューフェース診断室のデータを見ると、F5.6時の中心部の解像力こそ測定限界を超えていますが、像面湾曲が大きいことから平均値は低く、
非点収差もあまり小さくないので、開放のときのバックのボケ味は感じが悪く、そのものの形をくずしてしまう傾向がある。と指摘されています。ただ、マイクロフォーサーズで使う場合は、その高解像の中心部だけを使うことになります。
51.6mm・F2.0
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.0mm
歪曲収差 +0.2%(糸巻き型)
開口効率 43%(画面対角線90%の位置)
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.0mm
歪曲収差 +0.2%(糸巻き型)
開口効率 43%(画面対角線90%の位置)
解像力
絞りF2
中心部 180本/mm 平均 112本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 125本/mm 平均 122本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
絞りF5.6
中心部 125本/mm 平均 122本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
中心部 280本/mm以上 平均 126本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 40本/mm 平均 131本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズから遠い位置にある。
中心部 40本/mm 平均 131本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズから遠い位置にある。
このレンズは絞りリングのマウント面側への張り出しが大きく、マウントアダプターによっては装着できない場合があります。
▼ UV TOPCOR 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
1969年10月発売のトプコン・ユニレックス用の4群6枚のオーソドックスなガウスタイプの標準レンズで、トリウムガラスを採用した放射能レンズということは以前にも書いたとおりです。そこで言及した「50mmF2クラスレンズの解像力」の表ですが、この表には当然ながら記事本文もあって、小倉磐夫氏はその記事中でこのレンズを特に取り上げて次のように記しています。
国産一眼レフ用のF2レンズというのは全般に低調だった。例外はトプコンユニレックスというカメラに付いていたUVトプコールで,カメラ自体有名でなく記憶している人も少ないかと思うが,このレンズはまさにズミクロン級の結果を残している。F2級のトプコールは繰返し現れているが,このユニレックスだけが抜群に良くて,あとはさほど良くなかった。
50.1mm・F2.08
歪曲収差 -1.4%(タル型)
解像力
歪曲収差 -1.4%(タル型)
解像力
絞りF2
中心部 224本/mm 平均 132本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 180本/mm 平均 136本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
絞りF5.6
中心部 180本/mm 平均 136本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
中心部 250本/mm 平均 131本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 224本/mm 平均 179本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
中心部 224本/mm 平均 179本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
このレンズの絞り羽根は5枚ですが、微妙に曲線が付けられています。球面収差は開放域で完全補正・中間帯での補正不足側への膨らみはF2.8のあたりで最大-0.12mm、像面湾曲も非点収差も小さく、これら収差の補正状態は2015年5月発売のキヤノンEF50mm F1.8 STMに酷似、ないしはEF50mm F1.8 STMよりやや優れているように見えます。
▼ FD 50mm F1.8
F1.8
F5.6
F1.8
F5.6
1971年3月発売のキヤノンF-1とFTbから採用されたFDマウント用の廉価な標準レンズで、オーソドックスな4群6枚のガウスタイプです。このレンズは71年3月発売のⅠ型と、71年11月発売のⅡ型があるとされていますが、価格も含めてカタログ的なスペックに違いがなく、光学設計に違いがあるのかどうかも不明です。面白いことに、アサヒカメラ1971年5月号ニューフェース診断室で計測された際のⅠ型の収差図を見ると、1969年10月発売の前群交換式一眼レフ、キヤノンEX-EEのEX 50mm F1.8と同一製品の生産ロット違いではないかと疑いたくなるほどに酷似していて、レンズ構成図も違いは微妙で非常に小さく、解像力の数値もEX 50mm F1.8より開放時の数値がわずかに低い程度でかなり近いです。なお、今回用いた個体はピントリングに大きなビスの突起があることからⅡ型と思われますが、キヤノンカメラミュージアムでは質量305gとされているのに対し、実測では334gありました。
51.6mm・F1.84
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.01mm(後ピン)
歪曲収差 -1.4%(タル型)
開口効率 37%(画面対角線90%の位置)
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.01mm(後ピン)
歪曲収差 -1.4%(タル型)
開口効率 37%(画面対角線90%の位置)
解像力
絞りF1.8
中心部 180本/mm 平均 146本/mm
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
絞りF5.6
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
中心部 224本/mm 平均 157本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 180本/mm 平均 184本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズから遠い位置にある。
中心部 180本/mm 平均 184本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズから遠い位置にある。
FDマウントは東京光学の特許権使用許諾を得て、絞り込み測光のFLマウントをTTL開放測光化したマウントで、技術開発力の高さに他社も一目置いていたキヤノンがトプコンに屈して4千万円と言われるライセンス料を支払ったことに当時の国内カメラ業界はパニックのような状況に陥ったらしく、国内カメラメーカーの多くがその後を追って雪崩を打つようにトプコンの軍門に降る一方、日本光学は“カニの爪のガチャガチャ”を固守して時間を稼いでライセンス料を大幅に値切る作戦に出ました。
FD 50mm F1.8も、FD 50mm F1.4も、銘板にコーティング表記がなくレンズ先端のフィルター枠が銀色に光り輝くモデルは中古市場で見かける機会が意外に少ないように感じます。キヤノンの一眼レフへの参入は1959年5月と国内では比較的早い方だったのですが、そのキヤノンフレックスは底面のトリガーレバーによるフィルム巻き上げなどという中二病をこじらせたような飛び道具を採用してしまって大不評、またその後に自動絞り機構を見直したFLマウントはスーパーキヤノマチックRマウントと物理的な寸法や形状が同じなのにレンズの互換性を失ってまたも大不評で、キヤノンを見限った顧客が大量に他社製品へ流出、その一方で1961年に自動露出のキヤノネットが大ヒットしたことで、業界内ではキヤノンは高級カメラから手を引くらしいという観測が流れるなど、かつての「日本を代表する高級カメラメーカー」とする評価が一変し、70年代が目前になる頃にはキヤノンは「シロウト向けのバカチョンカメラメーカー」と見られるようになり、35mm一眼レフの市場シェアも、国内ではアサヒペンタックスが、最大市場の米国ではミノルタが頂点に立ち、キヤノンの存在感は希薄になる一方でした。そしてFDマウント採用でキヤノンはまたマウントを変えたのかとあきれられ、あるいはF-1を指してバカチョンカメラメーカーが無理な背伸びをしていると冷笑され、数少なくなったキヤノンの固定ファンの需要が一巡した時点で売上がばったり止まってしまいました。そのため、初期のFDレンズは市場に出た数が少ないようです。キヤノンはその後、起死回生を賭して前代未聞の一大奇策に打って出ることになります。
▼ <New> NIKKOR 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
NIKKOR-S AUTO 5cm F2の後を受けて1964年に登場した4群6枚構成のNIKKOR-H Auto 50mm F2に改良が重ねられて1974年11月に発売されたニューニッコールモデルで、最短撮影距離が60cmから45cmに短縮されています。以下に示すのはアサヒカメラ1968年1月号のニューフェース診断室に掲載されたNIKKOR-H Auto 50mm F2のデータで、<New> NIKKOR 50mm F2については公表された実測データがありません。
51.6mm・F2.0
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.02mm(後ピン)
歪曲収差 -1.6%(タル型)
開口効率 48%(画面対角線90%の位置)
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.02mm(後ピン)
歪曲収差 -1.6%(タル型)
開口効率 48%(画面対角線90%の位置)
解像力
絞りF2
中心部 180本/mm 平均 111本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 160本/mm 平均 128本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
絞りF5.6
中心部 160本/mm 平均 128本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.03mmレンズに近い位置にある。
中心部 224本/mm 平均 167本/mm
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズに近い位置にある。
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致している。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.03mmレンズに近い位置にある。
この同時代のNIKKOR-S Auto 50mm F1.4の測定データを追跡すると、実焦点距離・像面湾曲・非点収差・歪曲収差が頻繁に変わり、硝材に変更があった際にはレンズ構成図が激変、解像力の数値もF5.6時の解像力がファーストロットにくらべて後のロットではやや下がり、球面収差も収差量こそほぼ保たれながらもカーブの形状に若干の違いが生じるなど、頻繁に光学設計が見直され手を入れられて大きな変更が継続的に加え続けられていたことが分かります。従って、このレンズもNIKKOR-H Auto 50mm F2から引き継がれているのは球面収差量ぐらいではないかと想像します。
▼ SMC PENTAX-M 50mm F1.7
F1.7
F5.6
F1.7
F5.6
アサヒペンタックスのレンズは、マウントがKマウント化された際に新設計で投入されたレンズは広角レンズに偏り、標準レンズはタクマーの設計を引き継ぎました。標準レンズの設計が一新されるのは、オリンパスOMシステムに対抗して小型軽量化したペンタックスMシリーズの発売時、1976年になります。SMC PENTAX-M 50mm F1.7は1976年12月に発売された5群6枚変形ガウスタイプの標準レンズです。
51.6mm・F1.71
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.02mm(後ピン)
歪曲収差 -1.1%(タル型)
開口効率 41%(画面対角線90%の位置)
カラーコントリビューション指数 9/0/2
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 0.02mm(後ピン)
歪曲収差 -1.1%(タル型)
開口効率 41%(画面対角線90%の位置)
カラーコントリビューション指数 9/0/2
解像力
絞りF1.7
中心部 180本/mm 平均 108本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 160本/mm 平均 114本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.04mmレンズに近い位置にある。
絞りF5.6
中心部 160本/mm 平均 114本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.04mmレンズに近い位置にある。
中心部 224本/mm 平均 176本/mm
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致する。
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致する。
球面収差はほぼ完全補正、像面湾曲・非点収差も小さく、ペンタックスの標準レンズとしては例外的な高解像力を有します。
参考までに、アサヒカメラ1999年12月号で計測された現行製品、SMC PENTAX-FA 43mm F1.9 Limited(6群7枚)の数値を上げると、開放時の画面中心125本/mm・平均67本/mm、F5.6時の画面中心180本/mm・平均92本/mmとなっています。「リミテッド」なのに、限りなく長く生産販売が続いてますね(笑)
▼ XR RIKENON 50mm F2
F2.0
F5.6
F2.0
F5.6
このレンズを「高解像力レンズ」に含めていいのかどうか若干の躊躇はありましたが、「和製ズミクロン」として有名なレンズなので加えてみました。
51.4mm・F2.03
F5.6に絞ったときの焦点移動量 記載なし
歪曲収差 -1.3%(タル型)
開口効率 39%(画面対角線90%の位置)
カラーコントリビューション指数 5/0/2
解像力
F5.6に絞ったときの焦点移動量 記載なし
歪曲収差 -1.3%(タル型)
開口効率 39%(画面対角線90%の位置)
カラーコントリビューション指数 5/0/2
解像力
絞りF2
中心部 180本/mm 平均 119本/mm
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致する。
絞りF5.6
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”に一致する。
中心部 200本/mm 平均 123本/mm (画面中心が最良となるようなピント面)
中心部 200本/mm 平均 156本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.05mmレンズから遠い位置にある。
中心部 200本/mm 平均 156本/mm (画面全体が平均的に最良となるようなピント面)
“画面全体が平均的に最良となるようなピント面”は“画面中心が最良となるようなピント面”より0.08mmレンズに近い位置にある。
F5.6の“画面中心が最良となるようなピント面”は開放の場合より0.05mmレンズから遠い位置にある。
星セント・ルイスをCMに起用して1978年9月に発売、リコーのサンキュッパで一世を風靡したリコーXR500のキットレンズで、5群6枚変形ガウスタイプです。この当時、各社とも低価格一眼レフを市場に投入して「5万円戦争」と言われていた時代ですが、それら各社製品よりさらに大幅に安い、カメラボディ・レンズ・ケースのセットで39,800円というコンパクトカメラ並みの価格は驚きをもって迎えられました。当然、“安かろう悪かろう”ではないかという疑念を持つ向きもあったわけですが、実際には先に発売されていた上位機種とのパーツの共通化や大量宣伝・大量販売によるスケールメリットによって実現した低価格で、品質を犠牲にしていなかったことも特筆に値するかと思います。当時の雑誌広告を見ると、50mm F1.4やF1.7はレンズ単体の価格が記されているのに、このF2だけは単体の価格が記されていない広告が少なからずあり、メーカーがこの50mm F2レンズのみの単体販売を避けようとしていたことが伺われます。実際、このレンズの9,000円という価格は出血サービスではないかと当時言われ、カメラとのセット販売で利益を出すビジネスモデルだったと思われます。
XR500とXR RIKENON 50mm F2はアサヒカメラ1978年12月号のニューフェース診断室で計測されたのですが、その2ヶ月前の1978年10月号ではライカM4-2と5群6枚構成のズミクロンM50mm F2がテストされていました。その結果、9,000円のXRリケノンと12万円のズミクロンMの解像力が開放・F5.6時ともかなり近い数値だったことから、このXRリケノンはいつしか「和製ズミクロン」と呼ばれるようになりました。しかしMTF曲線の図を見ると、XRリケノン50mm F2はライカとは異なり、日本的な解像重視設計によって球面収差を過剰補正としていることから開放時のコントラストは低くて勝負にならないのですが、この当時はMTF曲線の見方を心得ている人がプロ写真家にすらまだ少なく、古くから馴染みのある解像力の単純な数値の近さに多くの人の目が奪われることになったわけです。とはいえ、この解像力の数値は1970年代の35mm判標準レンズとしてはありきたりな数値で、価格に注目しないのであれば特記に値するほどのものではありません(1990年代のレンズと比べると極めて高い解像力ではあるのですが)。ただし、このXRリケノンのF5.6でのMTF曲線は見事なもので、10本/mm・30本/mmともに放射・同心のコントラスト曲線が画面中央から四隅までほぼ完全に一致しており、それぞれ90%以上及び75~70%の高さを画面隅近くまで維持してフラットに伸びています。大変にコストパフォーマンスに優れたレンズです。が、現役製品当時の価格を超える中古価格を付けているものにあえて手を出す価値があるかというと、そこはちょっと微妙だと思います(笑)
「和製ズミクロン」の通り名だけをことさらに取り上げて単純に「ライカテイストが味わえる」などと煽るプロライターがいますが、あまりに勉強不足が過ぎます。収差補正はライカの多くのレンズとは大きく異なるので、このレンズにライカ的な描写を期待するべきではないと思います。また、ネット上ではこのレンズについて、上野千鶴子著・朝日ソノラマ刊『私のカメラテスト』に「ドイツレンズのような描写」と書かれているとする風説が見られますが、その『私のカメラテスト』でこのレンズを取り上げている掲載ページp.137~140に、そのような記述は全くありません。
XR RIKENON 50mm F2の発売以降、国内競合他社はF2クラスの標準レンズに値段の安さ以外に取り柄のない安物レンズを投入することができなくなりました。その意味で、このレンズはきわめて大きな影響力を発揮したレンズです。
この初代のXR RIKENON 50mm F2は質量のバラツキが非常に大きく、メーカー公称値は190gですが、ニューフェース診断室での実測値は204g、また、今回用いた個体は210gありました。
OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ(ISO 200, 絞り優先AE)
OLYMPUS Capture
LEITZ WETZLAR SUMMICRON 50mm F2 (Dual Range, 1964)
東京光学 Auto Topcor 5.8cm F1.8
千代田光学精工 AUTO ROKKOR-PF 55mm F1.8
日本光学 NIKKOR-S AUTO 5cm F2
東京光学 UV TOPCOR 50mm F2
日本光学 <New> NIKKOR 50mm F2
Canon FD 50mm F1.8(Ⅱ)
旭光学 SMC PENTAX-M 50mm F1.7
リコー XR RIKENON 50mm F2
GITZO CREMAILLERE2 G212
Manfrotto 410
ALTER 1/8scale "ALVIS & LAVIE BY LASTEXILE"
Auto Topcor 5.8cm F1.8 (F5.6)
参考資料(順不同):
新装版 現代のカメラとレンズ技術(小倉磐夫・写真工業出版社・ISBN4-87956-043-X C3072 P3000E・1995年10月17日 新装版第1刷)
クラシックカメラ選書-17 [復刻]明るい暗箱(荒川龍彦・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12027-4 C0072 ¥1700E・2000年6月15日 第1刷)
クラシックカメラ選書-22 レンズテスト[第1集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12032-0 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)
クラシックカメラ選書-23 レンズテスト[第2集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12033-9 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)
現代カメラ新書 No.64 私のカメラテスト(上野千鶴子・朝日ソノラマ・0272-018064-0049・1979年12月20日 初版)
カメラドクター・シリーズ〔第2集〕 話題のカメラ診断室(朝日ソノラマ・0072-003022-0049・1974年8月24日発行)
カメラドクター・シリーズ6 カメラ診断室(朝日ソノラマ・ISBN4-257-03174-3 C0072 ¥1600E・1983年12月31日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ニコンの黄金時代① SP~F3「診断室」再録(朝日新聞社・ISBN4-02-272128-6 C9472 ¥1800E・2000年1月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ニコンの黄金時代② F4~F100「診断室」再録(朝日新聞社・ISBN4-02-272129-4 C9472 ¥1800E・2000年1月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ライカの20世紀(朝日新聞社・ISBN4-02-272132-4 C9472 ¥1800E・2000年7月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 キヤノンの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272139-1 C9472 ¥1800E・2000年10月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ペンタックスの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272140-5 C9472 ¥1800E・2000年12月1日発行)
アサヒカメラ 1979年4月増刊号 35㍉一眼レフのすべて(朝日新聞社・雑誌01404-4・1979年4月5日発行)
アサヒカメラ 2015年10月号(朝日新聞社・雑誌01403-10・4910014031050 00907・2015年9月18日発売・2015年10月20日発行)
クラシックカメラ選書-17 [復刻]明るい暗箱(荒川龍彦・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12027-4 C0072 ¥1700E・2000年6月15日 第1刷)
クラシックカメラ選書-22 レンズテスト[第1集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12032-0 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)
クラシックカメラ選書-23 レンズテスト[第2集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12033-9 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)
現代カメラ新書 No.64 私のカメラテスト(上野千鶴子・朝日ソノラマ・0272-018064-0049・1979年12月20日 初版)
カメラドクター・シリーズ〔第2集〕 話題のカメラ診断室(朝日ソノラマ・0072-003022-0049・1974年8月24日発行)
カメラドクター・シリーズ6 カメラ診断室(朝日ソノラマ・ISBN4-257-03174-3 C0072 ¥1600E・1983年12月31日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ニコンの黄金時代① SP~F3「診断室」再録(朝日新聞社・ISBN4-02-272128-6 C9472 ¥1800E・2000年1月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ニコンの黄金時代② F4~F100「診断室」再録(朝日新聞社・ISBN4-02-272129-4 C9472 ¥1800E・2000年1月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ライカの20世紀(朝日新聞社・ISBN4-02-272132-4 C9472 ¥1800E・2000年7月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 キヤノンの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272139-1 C9472 ¥1800E・2000年10月1日発行)
アサヒカメラ ニューフェース診断室 ペンタックスの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272140-5 C9472 ¥1800E・2000年12月1日発行)
アサヒカメラ 1979年4月増刊号 35㍉一眼レフのすべて(朝日新聞社・雑誌01404-4・1979年4月5日発行)
アサヒカメラ 2015年10月号(朝日新聞社・雑誌01403-10・4910014031050 00907・2015年9月18日発売・2015年10月20日発行)