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Tokina AT-X M90 90mm F2.5 Macro ― NASAが設計しなかったマクロレンズ

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レーシングミク セパンVer.の写真を先ほどアップしましたが、その撮影に使った2本のレンズのうちの一方、Tokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroについて、以前にも少し書いたものの、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

Tokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroは、1970年代にアメリカを中心に販売されていたVivitar series 1 90mm F2.5 Macroの生産をPonder & Best, Inc.(1979年にビビター・コーポレーション Vivitar Corporationに改称)から請け負っていたトキナーが、80年代半ばに同レンズを小型・軽量化してリバイバルさせ自社製品として発売したレンズです。Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroはしばしば「NASAが設計した」と言われ、あるいは「NASAの要望で開発された」「NASAの技術者が設計した」「NASAに在籍していたことのある技術者が設計した」などの発展型バリエーションも見られ、Tokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroもまたその出自から「NASA設計」とする噂が絶えません。

この噂の真偽を確かめたく、「Vivitar series 1 90mm F2.5 Macro」を検索すると、さすがアメリカ企業がアメリカで販売していたレンズだけあって、英語のページが上位にずらっと並びます。ところが、これにアメリカ航空宇宙局の略称「NASA」を付け加えると状況は一変して日本語のサイトやブログが上位に並び、しかもそれらNASA設計説を是認する日本語ページには、筆者が写真のアマチュアかプロかを問わず、カメラやレンズのユーザーか販売業者かを問わず、裏付けとなる一次資料を提示しているところが全く見つからないという有様です。この検索結果を検討してみて、NASA設計説はガセネタであり、言わば口裂け女やトイレの花子さんと同類の、主に日本国内でのみ流布されている都市伝説と判断しました。このレンズについてNASA設計説を掲げるページは日本国内に偏在していて、他国のページでは稀なのです。

以下、主にCamera-wiki.orgとそこからリンクされている情報を元に、自分なりにまとめてみました。機械翻訳が頼りという貧しい語学力ゆえに誤読や誤解がある可能性は低くありませんので、できればCamera-wiki.orgを直接お読み頂いた方がよろしいかとは思うのですが。

Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroは、70年代初頭にPonder & Best, Inc.においてプロダクトマネージャーBill SwinyardとリサーチャーのGary EisenbergeとMurray Schwartzが企画した"series 1"レンズ群のひとつで、このレンズを含むseries 1の多くはオプコン・アソシエイツ(OPCON Associates)に設計が委託されました。オプコン・アソシエイツはエリス・ベテンスキー(Ellis I. Betensky)が1969年に設立し設計主任を務めていた光学設計コンサルタント企業で、同氏はアメリカの軍産複合体の一翼を担う企業のひとつでもあるパーキン・エルマー(Perkin-Elmer、現在はパーキンエルマー PerkinElmer, Inc.)において、同社がNASAから受託した、スカイラブに搭載するズーム機構を持つ宇宙望遠鏡の設計開発事業に従事していたという経歴を持ちます。このような同氏とパーキン・エルマーの繋がりから、オプコン・アソシエイツは"series 1"各レンズの設計にあたって当時最先端のパーキン・エルマーの光学設計用コンピュータシステムを使用できたといいます。エリス・ベテンスキーが設計したVivitar series 1 90mm F2.5 Macro(Opcon Associates - Patentsのページの一番下の126.に米国特許商標庁データベースの該当特許3942875へのリンクがあります)の特許権はPonder & Bestが有し、生産はトキナーに委託されました。

結論として、Vivitar series 1 90mm F2.5 MacroをNASAは設計していない、このレンズへのNASAの要望は存在しない、このレンズの開発者はNASAの職員でもなくNASA在籍経験者でもないと断定して良いと考えます。これは当然にTokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroも同じです。確実に言えるのは、このレンズの設計者はNASAの委託先企業でNASAのプロジェクトに関わったことがあるということです。

Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroは、中国語サイト「老鏡器材控」 の記述によると、1978年に発行されたアメリカの「フォト・バイイング・ガイド」誌(Photo Buying Guide)に、解像力の優れたマクロレンズとしてDRズミクロンとこのレンズの二つがあげられていたとのことです。海野和男氏の開放での解像度は群を抜いて世界一を誇ったと思う。という竜頭蛇尾の感を禁じ得ない一文は、おそらくその辺から来たものではないかと推測します。

さて、続いてようやくTokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroですが、このレンズは「ちょっとレアなOMマウントレンズ達 - Cult Classic Lenses in OM Mount」の該当ページによると1984年に71,800円で発売されたとのことですが、僕の手元には発売開始当時の資料がないのでその真偽は確認できません。このレンズについて手元にある最も古い資料は昭和63年(1988年)3月3日版の「'88 JAPAN CAMERA SHOW カメラ総合カタログ 第91号」で、そのp.83を見ると、レンズ本体のみの標準価格¥49,800、別売のマクロエクステンダーは¥17,000、別売の専用フードSH551は¥2,000とあります。この価格は物品税が廃止されて消費税が税率3%で導入された1989年に税制の変更に対応した改定が行われ、レンズ本体税別¥46,000、マクロエクステンダーは同¥15,700となっています。ただし、これらはあくまでも「標準価格」に過ぎず、当時はレンズ専業メーカー製品は3割引から4割引、あるいはそれ以上値引きされるのが通例でしたから、実売価格は標準価格より大幅に低かったと考えていいと思います。カメラ総合カタログを追跡してみたところ、マクロエクステンダーは1994年に、レンズ本体は1996年に販売を終了したものと思われます。ちなみに等倍撮影用のマクロエクステンダーは普通によくある中間リング(ただの素通しの円筒)ではなく、Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroのものと同じく3群3枚構成と凝ったものです…三脚座はありませんが。

このAT-X M90、鏡胴に「USA PAT. NO.3942875」と白く刻印されていて(現代と異なり印刷でないところに、当時の日本製品の造りの良さの一端が見えます)、これはVivitar series 1 90mm F2.5 Macroの設計の米国特許なのですが、この件について「AT-X M90はトキナーがビビターの特許を買い取って製造した」という説があります。ですが、該当特許の検索結果の外部リンク、USPTO 譲渡データベースを見ると「0 Results for 3942875」という結果が返ってきます。こういうことには疎いのでよく解りませんが、果たしてトキナーは本当にこの特許を買ったのでしょうか。1974年出願の特許ということは80年代半ばには残り5年前後で特許切れを迎えるわけで、わざわざ買うかなあと疑問に思うわけです。特許買収ではなく、特許の実施許諾を得て製造販売したと考えた方が合理的だろうと思います。

AT-X M90はアメリカではボケ味のよいレンズとも評価されているらしく、"Bokina"(ボキナー)というニックネームをよく見かけ、Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroをも"Bokina"と呼んでいる例も少なからず見かけました。ところで、ボケが"bokeh"として欧米で知られるようになったのは1995年に発表されたボケ味の解説記事がきっかけだそうですが(アサヒカメラ2013年6月号・佐藤治夫「レンズ開発者が語る日本と世界のボケに対する意識とレンズ開発の関係」よりp.137中段)、1995年はこのレンズの販売が終わる直前ですから、欧米でのbokehブームにギリギリ間に合ったといったところでしょうか。しかし、"bokeh"と"Tokina"で"Bokina"というのは安直すぎて笑いようがないアメリカンジョークの典型というか、日本だったら思いついた瞬間に思いついたことを恥じて一生懸命忘れようと努力する類のものだと思います(笑)

Vivitar series 1 90mm F2.5 Macro、及びTokina AT-X M90 90mm F2.5 Macroを、誰が、いつ、どこで「NASA設計」と言いだしたのか。実のところ全く判りません。これはもうウェブ上の検索でなんとかなりそうには思えず、地道に足で調べるフィールドワークによったとしても解明は困難だろうと思います。ここでは裏付けのない全くの推測を仮説として提示するに留めます。

Vivitar series 1 90mm F2.5 Macroが発売されて解像力が話題となった1970年代半ばから後半は、アポロ計画を既に終えていたNASAがスカイラブ計画を進め、スカイラブに宇宙飛行士を滞在させていた時期からそう遠く離れていません。スカイラブ計画は日本でも大きく報道されて一般にもよく知られ、最先端科学技術の象徴のようなプロジェクトと見なされていました。その多目的ドッキングモジュールに据えられた宇宙望遠鏡の設計者がこのレンズの設計も手がけていたという情報が、おそらくどこかから日本にもたらされたのでしょう。その宇宙望遠鏡はパーキン・エルマーが開発と製造を請け負い、同社のシニア・オプティカル・デザイナー(「上席光学設計主任」とでも訳せばよいのでしょうか)の職にあり、その後オプコン・アソシエイツを起業したエリス・ベテンスキーがパーキン・エルマー社内のメインフレーム・コンピュータ上で稼働していた光学設計システムを用いて設計していたのですが、軍需・官需・産業用機器分野がメインの「パーキン・エルマー」は当時のほとんどの日本人にとっては馴染みがなかったものと思われます。このような状況下で「このレンズはNASAのスカイラブの望遠鏡の設計者が設計した」あるいは「このレンズの設計にはスカイラブの望遠鏡を設計したのと同じシステムが使われた」と言えば、NASAが設計したと誤解されても仕方がなかっただろうと思います。

では、なぜこの誤解が打ち消されることなく今に至るまで語り継がれ都市伝説化してしまったのか。たぶん、日本におけるNASAのネームバリューがあまりにも大きいため、この噂はマーケティング上とても都合がいいと販売サイドが考えたのではないでしょうか。そして生産・販売がはるか以前に終わってしまった現在はというと、持ち込まれた中古品を買い取る際に「NASAなんて言われても噂だけ、それにレンズ専業メーカーは人気がなくて」などと渋って買い叩いておいて、「なんとNASA設計と言われる銘玉マクロが入荷しました!」と煽って高い値付けで販売してサヤを稼ぐという技が使えるわけで、中古販売業者にとっても正体がはっきりしないこの都市伝説には妙味があるのだろうと思います。

最後に。このレンズの出自について日本語で読める最も正確な情報2ちゃんねるの過去スレ上にあり、これが突破口となって大いに助かりました。しかし、なにか思い違いをされていたらしい蘊蓄2ちゃんねるの過去スレ上に、そして最も不正確な情報もまた2ちゃんねるの過去スレ上にありました。



Tokina AT-X M90 90mm F2.5 Macro(F4.0), OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ(ISO 200, A mode)


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